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エリザベス女王杯動画一覧
エリザベス女王杯の動画一覧
2011年 エリザベス女王杯 スノーフェアリー
2010年 エリザベス女王杯 スノーフェアリー
2009年 エリザベス女王杯 クイーンスプマンテ
2008年 エリザベス女王杯 リトルアマポーラ
2007年 エリザベス女王杯 ダイワスカーレット
2006年 エリザベス女王杯 フサイチパンドラ カワカミプリンセス降着
1994年 エリザベス女王杯 ヒシアマゾン
1993年 エリザベス女王杯 ホクトベガ
エリザベス女王杯説明(wikiより転載)
前身の「ビクトリアカップ」は牝馬の菊花賞に位置付けられるものとして1970年から行われていたが1975年にエリザベス女王が来日したことを記念し、翌1976年に新たに「エリザベス女王杯」が創設されてビクトリアカップは廃止された。競走名の改称が行われた場合は通常施行回数は引き継がれるがエリザベス女王杯は事実上は改称ながら形式としては新設の競走とされたため、1976年のエリザベス女王杯が「第1回」となっている(実質は改称だが施行回数がリセットされた例はほかにはペガサスステークス→アーリントンカップがある)。
1995年の第20回までは京都競馬場の芝2400mで施行され牝馬三冠レースの最終戦であった。ただし桜花賞・優駿牝馬(オークス)とは違い英国競馬のクラシック競走に範を取った競走ではないため、クラシック競走には位置付けられていない(これは秋華賞も同様である)。
1996年、秋華賞の新設に伴い芝2400mから芝2200mに距離が短縮されると共に古馬牝馬も出走が可能になり、これまで古馬になると牡馬と戦うしかなかった牝馬最大の目標の1つとして定着、3歳牝馬三冠路線組も合わせ牝馬の一線級が一堂に会する競走となった。また1995年以降JRAの方針によりGI競走が地方馬にも開放され秋華賞・京都大賞典・府中牝馬ステークスのいずれか2着以内の地方馬には出走資格が与えられることになり、更に1999年からは外国馬も出走可能となり、2008年からはジャパン・オータムインターナショナルシリーズに指定されている。
なお2006年には春季に古馬牝馬限定のGI競走としてヴィクトリアマイルが新設されたため、春秋それぞれに古馬牝馬が出走可能な牝馬限定GI競走が存在することとなった。
出走資格はサラブレッド系3歳(旧4歳)以上牝馬のJRA所属の競走馬、JRAのGI競走、指定された海外国際G1競走、地方競馬のダート交流GI競走優勝馬(2歳限定戦を除く)、及び外国調教馬(9頭まで)。
負担重量は定量で3歳54kg、4歳以上56kgである。
2011年度現在の総額賞金は1億7200万円で1着賞金9000万円、2着賞金3600万円、3着賞金2300万円、4着賞金1400万円、5着賞金900万円と定められている。
2011年 エリザベス女王杯 スノーフェアリー
2010年 エリザベス女王杯 スノーフェアリー
2009年 エリザベス女王杯 クイーンスプマンテ
2008年 エリザベス女王杯 リトルアマポーラ
2007年 エリザベス女王杯 ダイワスカーレット
2006年 エリザベス女王杯 フサイチパンドラ カワカミプリンセス降着
1994年 エリザベス女王杯 ヒシアマゾン
1993年 エリザベス女王杯 ホクトベガ
エリザベス女王杯説明(wikiより転載)
前身の「ビクトリアカップ」は牝馬の菊花賞に位置付けられるものとして1970年から行われていたが1975年にエリザベス女王が来日したことを記念し、翌1976年に新たに「エリザベス女王杯」が創設されてビクトリアカップは廃止された。競走名の改称が行われた場合は通常施行回数は引き継がれるがエリザベス女王杯は事実上は改称ながら形式としては新設の競走とされたため、1976年のエリザベス女王杯が「第1回」となっている(実質は改称だが施行回数がリセットされた例はほかにはペガサスステークス→アーリントンカップがある)。
1995年の第20回までは京都競馬場の芝2400mで施行され牝馬三冠レースの最終戦であった。ただし桜花賞・優駿牝馬(オークス)とは違い英国競馬のクラシック競走に範を取った競走ではないため、クラシック競走には位置付けられていない(これは秋華賞も同様である)。
1996年、秋華賞の新設に伴い芝2400mから芝2200mに距離が短縮されると共に古馬牝馬も出走が可能になり、これまで古馬になると牡馬と戦うしかなかった牝馬最大の目標の1つとして定着、3歳牝馬三冠路線組も合わせ牝馬の一線級が一堂に会する競走となった。また1995年以降JRAの方針によりGI競走が地方馬にも開放され秋華賞・京都大賞典・府中牝馬ステークスのいずれか2着以内の地方馬には出走資格が与えられることになり、更に1999年からは外国馬も出走可能となり、2008年からはジャパン・オータムインターナショナルシリーズに指定されている。
なお2006年には春季に古馬牝馬限定のGI競走としてヴィクトリアマイルが新設されたため、春秋それぞれに古馬牝馬が出走可能な牝馬限定GI競走が存在することとなった。
出走資格はサラブレッド系3歳(旧4歳)以上牝馬のJRA所属の競走馬、JRAのGI競走、指定された海外国際G1競走、地方競馬のダート交流GI競走優勝馬(2歳限定戦を除く)、及び外国調教馬(9頭まで)。
負担重量は定量で3歳54kg、4歳以上56kgである。
2011年度現在の総額賞金は1億7200万円で1着賞金9000万円、2着賞金3600万円、3着賞金2300万円、4着賞金1400万円、5着賞金900万円と定められている。



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2010年 エリザベス女王杯 スノーフェアリー
2010年 エリザベス女王杯 スノーフェアリー
タイム 2:12.5
スノーフェアリー説明(wikiより転載)
2008年に開催された1歳馬のセールに上場されたが、1800ユーロ(当時のレートで約23万4000円)で買主がつかず生産者の主取りとなるなど、周囲の評価は極めて低かった。
2009年6月、ニューベリー競馬場の未勝利戦でデビューし、3着となる。次走半月後の未勝利戦で勝利を収める。その後年内は全て7F以下の短距離を中心に使われ、勝利を挙げられないまま翌年を迎える。
年が明けて2010年、初戦のハイトオブファッションステークスでは初めての中距離でのレースとなったが、ここを3馬身差で快勝しオークスに駒を進める。 これまでの実績がほとんど無いため7番人気に甘んじていたが、激戦をクビ差でしのぎ、重賞初勝利をクラシックレースにて収める。
続いてアイリッシュオークスに出走。2着Miss Jean Brodieに8馬身の差をつけて圧勝し、英愛オークス制覇を達成した。その後は8月のヨークシャーオークスに出走するも、ミッデイに3馬身及ばず2着に敗れた。
続いて9月のセントレジャーステークスに出走。牝馬の挑戦は2008年のUnsung Heroine(2着)、Look Here(3着)以来となるが4着と敗れた。
エリザベス女王杯表彰式
その後、陣営はボーナスを目指し、エリザベス女王杯、ジャパンカップ等に登録、日本に渡る。11月14日のエリザベス女王杯ではライアン・ムーアが騎乗し、4コーナー出口で馬群が外にバラけたところを内から一気に突き抜け、2着の京都巧者メイショウベルーガに4馬身差をつける圧勝[2]。なお、ジャパンカップは馬体の回復が思わしくないため、回避することとなった。その後香港へ遠征し、12月12日に行われた香港カップでは後方2番手から直線に入ると一気に豪脚を発揮しIrianをわずかにかわして勝利した。
これらの活躍により2010年のカルティエ賞最優秀3歳牝馬を受賞した。
2011年、当初はドバイワールドミーティングで始動する予定であったが軽い脚部不安が発生し回避し、6月25日にカラで行なわれたG1プリティーポリーステークスにエントリーしたが直前の荒天で馬場が悪化したため出走を取り消した[3]。翌週7月2日のエクリプスステークスに出走することになったが、ソーユーシンクの4着に敗れた。続いてナッソーステークスに出走するも、ミッデイに2馬身及ばず2着に敗れた。アイリッシュチャンピオンステークスでは中団から追い上げたがソーユーシンクの2着。10月2日の凱旋門賞では後方から鋭い脚を使い伸びてきたが伏兵デインドリームの3着、10月15日のチャンピオンステークスではシリュスデゼーグルの3着に敗れた。
タイム 2:12.5
スノーフェアリー説明(wikiより転載)
2008年に開催された1歳馬のセールに上場されたが、1800ユーロ(当時のレートで約23万4000円)で買主がつかず生産者の主取りとなるなど、周囲の評価は極めて低かった。
2009年6月、ニューベリー競馬場の未勝利戦でデビューし、3着となる。次走半月後の未勝利戦で勝利を収める。その後年内は全て7F以下の短距離を中心に使われ、勝利を挙げられないまま翌年を迎える。
年が明けて2010年、初戦のハイトオブファッションステークスでは初めての中距離でのレースとなったが、ここを3馬身差で快勝しオークスに駒を進める。 これまでの実績がほとんど無いため7番人気に甘んじていたが、激戦をクビ差でしのぎ、重賞初勝利をクラシックレースにて収める。
続いてアイリッシュオークスに出走。2着Miss Jean Brodieに8馬身の差をつけて圧勝し、英愛オークス制覇を達成した。その後は8月のヨークシャーオークスに出走するも、ミッデイに3馬身及ばず2着に敗れた。
続いて9月のセントレジャーステークスに出走。牝馬の挑戦は2008年のUnsung Heroine(2着)、Look Here(3着)以来となるが4着と敗れた。
エリザベス女王杯表彰式
その後、陣営はボーナスを目指し、エリザベス女王杯、ジャパンカップ等に登録、日本に渡る。11月14日のエリザベス女王杯ではライアン・ムーアが騎乗し、4コーナー出口で馬群が外にバラけたところを内から一気に突き抜け、2着の京都巧者メイショウベルーガに4馬身差をつける圧勝[2]。なお、ジャパンカップは馬体の回復が思わしくないため、回避することとなった。その後香港へ遠征し、12月12日に行われた香港カップでは後方2番手から直線に入ると一気に豪脚を発揮しIrianをわずかにかわして勝利した。
これらの活躍により2010年のカルティエ賞最優秀3歳牝馬を受賞した。
2011年、当初はドバイワールドミーティングで始動する予定であったが軽い脚部不安が発生し回避し、6月25日にカラで行なわれたG1プリティーポリーステークスにエントリーしたが直前の荒天で馬場が悪化したため出走を取り消した[3]。翌週7月2日のエクリプスステークスに出走することになったが、ソーユーシンクの4着に敗れた。続いてナッソーステークスに出走するも、ミッデイに2馬身及ばず2着に敗れた。アイリッシュチャンピオンステークスでは中団から追い上げたがソーユーシンクの2着。10月2日の凱旋門賞では後方から鋭い脚を使い伸びてきたが伏兵デインドリームの3着、10月15日のチャンピオンステークスではシリュスデゼーグルの3着に敗れた。



2009年 エリザベス女王杯 クイーンスプマンテ
2009年 エリザベス女王杯 クイーンスプマンテ
タイム 2:13.6
クイーンスプマンテ説明(wikiより転載)
2004年4月9日、北海道千歳市の社台ファームで生まれる。 美浦トレーニングセンターの小島茂之厩舎に入厩にする。
3歳~4歳
2007年3月17日、第1回阪神競馬第5競走の3歳新馬戦にて千田輝彦騎乗でデビュー。このデビュー戦はロックドゥカンブの3着と敗れる。2戦目に田中博康が騎乗した3歳未勝利で初勝利をあげる。初勝利をあげた後、5戦目8月に3歳以上500万下条件戦で2勝目をあげる。その後、秋華賞トライアルレースの紫苑ステークスで10着に敗れ、秋華賞では12着に敗れる。東京で1戦したのちに休養に入る。復帰戦となった4月の4歳上1000万下条件戦は3着に敗れる。6月に3勝目をあげるが、以降は勝てずにこの年を終える。
5歳
2月に条件戦の皿倉山特別から始動したが9着に敗れる。その後3月に4勝目をあげると、ハンデ49kgの格上挑戦となったみなみ北海道ステークスでは、初騎乗となった荻野琢真が大逃げを打ち、そのまま2着グラスボンバーに0.6秒差をつけて逃げ切り勝ち。オープン初勝利をあげた。
エリザベス女王杯優勝時
秋の目標をエリザベス女王杯とした陣営は、9月26日から栗東に滞在して調整を行い、ステップレースとして10月11日の京都大賞典へ出走。レース前に「ハナにこだわることはない」と表明していた陣営は京都大賞典では先頭をテイエムプリキュアに譲り2番手を追走、直線で一度は先頭に立ったものの9着に敗れた。レース後も栗東に滞在したまま調整を続け、本番のエリザベス女王杯を前に調教師の小島茂之は逃げ宣言を行った。レースは先頭を切りテイエムプリキュアがピッタリ後を付ける展開となるが、ハナ争いにならず2頭逃げの形で折り合い、1000mを60.5秒の平均ペースで通過する。この時点で3番手との差は10馬身程度だったが、3番手以降の上位人気馬がお互いに牽制し合ったことと3番手集団の先頭部分が先頭2頭をなかなか追わなかったために、残り600m地点では2番手テイエムプリキュアと3番手は20馬身以上に広がっていた。直線に入るとテイエムプリキュアとの一騎打ちになるが最後まで抜かせずに0.2秒差、残り600mを32.9秒で追い込んできたブエナビスタには更に0.1秒差を付けて逃げ切った。同馬は重賞競走初勝利をGI競走であげ、関東馬のエリザベス女王杯優勝は1999年のメジロドーベル以来、また鞍上の田中博康はGI初制覇となった。
馬主(一口馬主のクラブ法人)であるグリーンファーム愛馬会の規約で「牝馬に関しては原則として5歳末日を運用終了日とする」ことが定められているため、同年いっぱいで引退。引退レースは当初有馬記念の予定だったが、「直線が平坦のコース形態や、過去のレースラップなどを研究した結果、香港の方が合っていると思う」とのことで香港ヴァーズが選ばれた。しかしヴァーズへ出走する他馬のレーティングが高く、主催者側からの打診を受け香港カップに回ることとなった。迎えた香港カップでは楽にリードが奪えず、先手を奪ったものの直線で失速して10着と殿負けを喫した。その後12月22日付で競走馬登録を抹消。現在は社台ファームで繁殖牝馬となっている。
タイム 2:13.6
クイーンスプマンテ説明(wikiより転載)
2004年4月9日、北海道千歳市の社台ファームで生まれる。 美浦トレーニングセンターの小島茂之厩舎に入厩にする。
3歳~4歳
2007年3月17日、第1回阪神競馬第5競走の3歳新馬戦にて千田輝彦騎乗でデビュー。このデビュー戦はロックドゥカンブの3着と敗れる。2戦目に田中博康が騎乗した3歳未勝利で初勝利をあげる。初勝利をあげた後、5戦目8月に3歳以上500万下条件戦で2勝目をあげる。その後、秋華賞トライアルレースの紫苑ステークスで10着に敗れ、秋華賞では12着に敗れる。東京で1戦したのちに休養に入る。復帰戦となった4月の4歳上1000万下条件戦は3着に敗れる。6月に3勝目をあげるが、以降は勝てずにこの年を終える。
5歳
2月に条件戦の皿倉山特別から始動したが9着に敗れる。その後3月に4勝目をあげると、ハンデ49kgの格上挑戦となったみなみ北海道ステークスでは、初騎乗となった荻野琢真が大逃げを打ち、そのまま2着グラスボンバーに0.6秒差をつけて逃げ切り勝ち。オープン初勝利をあげた。
エリザベス女王杯優勝時
秋の目標をエリザベス女王杯とした陣営は、9月26日から栗東に滞在して調整を行い、ステップレースとして10月11日の京都大賞典へ出走。レース前に「ハナにこだわることはない」と表明していた陣営は京都大賞典では先頭をテイエムプリキュアに譲り2番手を追走、直線で一度は先頭に立ったものの9着に敗れた。レース後も栗東に滞在したまま調整を続け、本番のエリザベス女王杯を前に調教師の小島茂之は逃げ宣言を行った。レースは先頭を切りテイエムプリキュアがピッタリ後を付ける展開となるが、ハナ争いにならず2頭逃げの形で折り合い、1000mを60.5秒の平均ペースで通過する。この時点で3番手との差は10馬身程度だったが、3番手以降の上位人気馬がお互いに牽制し合ったことと3番手集団の先頭部分が先頭2頭をなかなか追わなかったために、残り600m地点では2番手テイエムプリキュアと3番手は20馬身以上に広がっていた。直線に入るとテイエムプリキュアとの一騎打ちになるが最後まで抜かせずに0.2秒差、残り600mを32.9秒で追い込んできたブエナビスタには更に0.1秒差を付けて逃げ切った。同馬は重賞競走初勝利をGI競走であげ、関東馬のエリザベス女王杯優勝は1999年のメジロドーベル以来、また鞍上の田中博康はGI初制覇となった。
馬主(一口馬主のクラブ法人)であるグリーンファーム愛馬会の規約で「牝馬に関しては原則として5歳末日を運用終了日とする」ことが定められているため、同年いっぱいで引退。引退レースは当初有馬記念の予定だったが、「直線が平坦のコース形態や、過去のレースラップなどを研究した結果、香港の方が合っていると思う」とのことで香港ヴァーズが選ばれた。しかしヴァーズへ出走する他馬のレーティングが高く、主催者側からの打診を受け香港カップに回ることとなった。迎えた香港カップでは楽にリードが奪えず、先手を奪ったものの直線で失速して10着と殿負けを喫した。その後12月22日付で競走馬登録を抹消。現在は社台ファームで繁殖牝馬となっている。



2008年 エリザベス女王杯 リトルアマポーラ
2008年 エリザベス女王杯 リトルアマポーラ
タイム 2:12.1
リトルアマポーラ3歳時説明(wikiより転載)
年明けの緒戦は京成杯。22年ぶりの牝馬制覇に挑むが道中馬込みに揉まれマイネルチャールズの4着に終わる。その後、クイーンカップに出走。馬体重が大幅に減っていたがここでは1番人気に推され、その期待に応えるように3勝目を挙げ重賞初制覇を果たした。
レース後は桜花賞に向けて調整され、レース当日には馬体重も戻りトールポピーに次ぐ2番人気に支持される。レースではやや出遅れたため位置取りがやや後方になってしまい、出走馬最速の上がり3ハロン34秒3の脚で猛然と追い込んでくるも届かずレジネッタの5着に敗れた。
その後、優駿牝馬では前走での最速の上がりが評価されて1番人気に支持されたが、伸びない大外を回らされたこともあって、トールポピーの7着に敗れ、レース後はリフレッシュ放牧に出された。しかし、放牧先では春の激戦の影響もあって体調を崩し、調整が大幅に遅れることになった。そのため、秋はトライアルを使わず直行で秋華賞から始動したが、ブラックエンブレムの6着に敗れ、3歳牝馬クラシックは無冠に終わった。
エリザベス女王杯優勝時
エリザベス女王杯ではクリストフ・ルメールを鞍上に迎えて挑み、最後の直線の入口で先頭に立つと1番人気のカワカミプリンセスやベッラレイアの追撃を振り切りGI初制覇を飾った。
鞍上が武幸四郎に変わってからは、後方からレースを進め大外を回すというスタイルであったが、これを先行させて勝たせたルメールの騎乗は、それまで後方一辺倒であったハーツクライを先行させて勝った2005年の有馬記念の再現と評されている。
カワカミプリンセスやベッラレイア等の古馬相手に勝利した事が評価され、同年のJRA賞で、並み居る3歳牝馬クラシックホース3頭を抑え、最優秀3歳牝馬を受賞した。
タイム 2:12.1
リトルアマポーラ3歳時説明(wikiより転載)
年明けの緒戦は京成杯。22年ぶりの牝馬制覇に挑むが道中馬込みに揉まれマイネルチャールズの4着に終わる。その後、クイーンカップに出走。馬体重が大幅に減っていたがここでは1番人気に推され、その期待に応えるように3勝目を挙げ重賞初制覇を果たした。
レース後は桜花賞に向けて調整され、レース当日には馬体重も戻りトールポピーに次ぐ2番人気に支持される。レースではやや出遅れたため位置取りがやや後方になってしまい、出走馬最速の上がり3ハロン34秒3の脚で猛然と追い込んでくるも届かずレジネッタの5着に敗れた。
その後、優駿牝馬では前走での最速の上がりが評価されて1番人気に支持されたが、伸びない大外を回らされたこともあって、トールポピーの7着に敗れ、レース後はリフレッシュ放牧に出された。しかし、放牧先では春の激戦の影響もあって体調を崩し、調整が大幅に遅れることになった。そのため、秋はトライアルを使わず直行で秋華賞から始動したが、ブラックエンブレムの6着に敗れ、3歳牝馬クラシックは無冠に終わった。
エリザベス女王杯優勝時
エリザベス女王杯ではクリストフ・ルメールを鞍上に迎えて挑み、最後の直線の入口で先頭に立つと1番人気のカワカミプリンセスやベッラレイアの追撃を振り切りGI初制覇を飾った。
鞍上が武幸四郎に変わってからは、後方からレースを進め大外を回すというスタイルであったが、これを先行させて勝たせたルメールの騎乗は、それまで後方一辺倒であったハーツクライを先行させて勝った2005年の有馬記念の再現と評されている。
カワカミプリンセスやベッラレイア等の古馬相手に勝利した事が評価され、同年のJRA賞で、並み居る3歳牝馬クラシックホース3頭を抑え、最優秀3歳牝馬を受賞した。


