名馬列伝~動画~ 名馬・競馬の無料動画サイト
>>スプリンターズステークス動画
名馬列伝~動画~ 競馬の名動画まとめ > CATEGORY - スプリンターズステークス動画
スプリンターズステークス動画一覧
スプリンターズステークス動画一覧
2011年 スプリンターズステークス カレンチャン
2010年 スプリンターズステークス ウルトラファンタジー
2009年 スプリンターズステークス ローレルゲレイロ
2008年 スプリンターズステークス スリープレスナイト
2007年 スプリンターズステークス アストンマーチャン
2006年 スプリンターズステークス テイクオーバーターゲット
2003年 スプリンターズステークス デュランダル
2002年 スプリンターズステークス ビリーヴ
1994年 スプリンターズステークス サクラバクシンオー
1993年 スプリンターズステークス サクラバクシンオー
1991年 スプリンターズステークス ダイイチルビー
スプリンターズステークス説明(wikiより転載)
概要
1967年に4歳(現3歳)以上・ハンデキャップによる重賞競走として現在と同じ中山競馬場・芝1200mに「スプリンターズステークス」を創設。日本競馬初の短距離重賞競走であり、当時は4歳(現3歳)以上の馬が出走できる唯一のスプリント重賞であった。
1969年より負担重量を別定に変更し、開催時期を秋季に移動。1984年のグレード制導入によりGIIIに格付けされ、時期を3月に移動し、京王杯スプリングカップや安田記念へのステップレースとして位置づけられることになった。また、1987年にはGIIに格上げされた。
マイルGIに続き、スプリントのGIを創設しようとする機運が高まる中、1990年に本競走はGIに格上げ、さらに時期を年末に移し、有馬記念の1週間前に施行されることになった。これとともに負担重量を定量とした。1994年からは国際競走に指定され外国調教馬の出走が可能に、翌1995年には指定競走となり地方競馬所属馬にも出走資格が与えられた。
2000年には1年を通してのスプリント路線の競走体系が整備され、時期を秋の中山開催最終週(9月末から10月初め)に移動。2005年よりグローバル・スプリント・チャレンジの第6戦に組み込まれた。
GI格上げ時は1年を締めくくるスプリント王決定戦という位置づけであったが、現在は春の高松宮記念と双璧をなし、日本における下半期のスプリンターNo.1決定戦として位置づけられるほか、秋のGIシリーズの初戦として定着している。
グローバル・スプリント・チャレンジに組み込まれたこともあって、近年は外国馬の参戦が増加傾向である。このためにサイレントウィットネス、ウルトラファンタジー(香港調教馬)、テイクオーバーターゲット(オーストラリア調教馬)といった外国馬が優勝している。
現在の優勝レイの配色は赤色地に金色文字となっている。近年はこの配色で統一されているが、新潟競馬場開催だった2002年のみ桃色地に銀色文字の配色だった。
出走資格はサラ系3歳(旧4歳)以上のJRA所属馬(外国産馬含む)、外国調教馬(8頭まで)、および2歳時を除くGI競走1着、または指定の競走で所定の成績を収め本競走の出走資格を得た地方所属競走馬。なお、地方所属競走馬でキーンランドカップ・セントウルステークスで2着以内、または外国で行われるグローバル・スプリント・チャレンジ対象競走の2着以内に入った馬には優先出走が認められる。
負担重量は定量で3歳55kg、4歳以上57kg、牝馬2kg減。
2011年度現在の総額賞金は1億8050万円。1着賞金9500万円で以下2着賞金3800万円、3着賞金2400万円、4着賞金1400万円、5着賞金950万円。
2011年 スプリンターズステークス カレンチャン
2010年 スプリンターズステークス ウルトラファンタジー
2009年 スプリンターズステークス ローレルゲレイロ
2008年 スプリンターズステークス スリープレスナイト
2007年 スプリンターズステークス アストンマーチャン
2006年 スプリンターズステークス テイクオーバーターゲット
2003年 スプリンターズステークス デュランダル
2002年 スプリンターズステークス ビリーヴ
1994年 スプリンターズステークス サクラバクシンオー
1993年 スプリンターズステークス サクラバクシンオー
1991年 スプリンターズステークス ダイイチルビー
スプリンターズステークス説明(wikiより転載)
概要
1967年に4歳(現3歳)以上・ハンデキャップによる重賞競走として現在と同じ中山競馬場・芝1200mに「スプリンターズステークス」を創設。日本競馬初の短距離重賞競走であり、当時は4歳(現3歳)以上の馬が出走できる唯一のスプリント重賞であった。
1969年より負担重量を別定に変更し、開催時期を秋季に移動。1984年のグレード制導入によりGIIIに格付けされ、時期を3月に移動し、京王杯スプリングカップや安田記念へのステップレースとして位置づけられることになった。また、1987年にはGIIに格上げされた。
マイルGIに続き、スプリントのGIを創設しようとする機運が高まる中、1990年に本競走はGIに格上げ、さらに時期を年末に移し、有馬記念の1週間前に施行されることになった。これとともに負担重量を定量とした。1994年からは国際競走に指定され外国調教馬の出走が可能に、翌1995年には指定競走となり地方競馬所属馬にも出走資格が与えられた。
2000年には1年を通してのスプリント路線の競走体系が整備され、時期を秋の中山開催最終週(9月末から10月初め)に移動。2005年よりグローバル・スプリント・チャレンジの第6戦に組み込まれた。
GI格上げ時は1年を締めくくるスプリント王決定戦という位置づけであったが、現在は春の高松宮記念と双璧をなし、日本における下半期のスプリンターNo.1決定戦として位置づけられるほか、秋のGIシリーズの初戦として定着している。
グローバル・スプリント・チャレンジに組み込まれたこともあって、近年は外国馬の参戦が増加傾向である。このためにサイレントウィットネス、ウルトラファンタジー(香港調教馬)、テイクオーバーターゲット(オーストラリア調教馬)といった外国馬が優勝している。
現在の優勝レイの配色は赤色地に金色文字となっている。近年はこの配色で統一されているが、新潟競馬場開催だった2002年のみ桃色地に銀色文字の配色だった。
出走資格はサラ系3歳(旧4歳)以上のJRA所属馬(外国産馬含む)、外国調教馬(8頭まで)、および2歳時を除くGI競走1着、または指定の競走で所定の成績を収め本競走の出走資格を得た地方所属競走馬。なお、地方所属競走馬でキーンランドカップ・セントウルステークスで2着以内、または外国で行われるグローバル・スプリント・チャレンジ対象競走の2着以内に入った馬には優先出走が認められる。
負担重量は定量で3歳55kg、4歳以上57kg、牝馬2kg減。
2011年度現在の総額賞金は1億8050万円。1着賞金9500万円で以下2着賞金3800万円、3着賞金2400万円、4着賞金1400万円、5着賞金950万円。



スポンサーサイト
2010年 スプリンターズステークス ウルトラファンタジー
2010年 スプリンターズステークス ウルトラファンタジー
タイム 1:07.4
ウルトラファンタジー説明(wikiより転載)
2010年/2011年シーズン
当初はセントウルステークスの出走を視野に入れていたが、辞退してスプリンターズステークスに直行。迎えたスプリンターズステークスでは黎海栄騎乗で10番人気。ハナを切り、そのまま粘りきって逃げ切り勝ちを収め、海外GI制覇となった。8歳での平地GI勝利はカンパニーと並ぶ最高齢タイ。外国馬の優勝は2006年のテイクオーバーターゲット以来4年ぶりのこと。香港調教馬の優勝は2005年のサイレントウィットネス(精英大師)以来5年ぶり史上2頭目。そのあと12月の香港スプリントへ出走し、道中は2番手を追走も直線で失速し最下位の14着に敗れた。
タイム 1:07.4
ウルトラファンタジー説明(wikiより転載)
2010年/2011年シーズン
当初はセントウルステークスの出走を視野に入れていたが、辞退してスプリンターズステークスに直行。迎えたスプリンターズステークスでは黎海栄騎乗で10番人気。ハナを切り、そのまま粘りきって逃げ切り勝ちを収め、海外GI制覇となった。8歳での平地GI勝利はカンパニーと並ぶ最高齢タイ。外国馬の優勝は2006年のテイクオーバーターゲット以来4年ぶりのこと。香港調教馬の優勝は2005年のサイレントウィットネス(精英大師)以来5年ぶり史上2頭目。そのあと12月の香港スプリントへ出走し、道中は2番手を追走も直線で失速し最下位の14着に敗れた。



2009年 スプリンターズステークス ローレルゲレイロ
2009年 スプリンターズステークス ローレルゲレイロ
タイム 1:07.5
ローレルゲレイロ説明(wikiより転載)
5歳時
2009年、2年連続で東京新聞杯から始動、スタートから逃げるものの、最後の直線で失速し13着と大敗した。次走は連覇がかかった阪急杯に出走、スタートから逃げるものの、最後の直線でビービーガルダンに捉えられ2着に終わった。
3月29日、第39回高松宮記念に出走。レースはスタートから押して先頭で逃げ、直線ではスリープレスナイトに一端交わされかけたところを再度内から差し返し、そのまま押し切って初のGIレース優勝。レース史上初の父仔制覇を成し遂げた。奇しくも、父キングヘイローと同じ7枠13番での勝利であった。
続いて6月7日、第59回安田記念に出走。GI馬ながらここ最近のマイル戦では精彩を欠いていたためか6番人気の支持を受ける。好スタートからいつものように先団にとりついたが、直線で失速し15着と大敗した。休養を挟んで、9月13日のセントウルステークスに出走。好スタートから逃げるものの、直線で失速しブービーの14着と大敗した。
10月4日、第43回スプリンターズステークスに出走。レースは第4コーナーを回って先頭に立ち、逃げ込みを図ろうとするところに外からビービーガルダンが追い込み、2頭が並んでゴール板を駆け抜けた。レース終了から10分近い写真判定の結果、1cm差でローレルゲレイロが競り勝ち、春の高松宮記念に続いて春秋スプリント王に輝いた。
その後、2年連続で香港に遠征し、12月13日の香港スプリントではスタートで出負けし、前半から強引にハナを奪いに行ったが、残り300mから大きく失速し13着に終わった。
スプリントGIを春秋連覇したことによりJRA賞最優秀短距離馬に選出された。
タイム 1:07.5
ローレルゲレイロ説明(wikiより転載)
5歳時
2009年、2年連続で東京新聞杯から始動、スタートから逃げるものの、最後の直線で失速し13着と大敗した。次走は連覇がかかった阪急杯に出走、スタートから逃げるものの、最後の直線でビービーガルダンに捉えられ2着に終わった。
3月29日、第39回高松宮記念に出走。レースはスタートから押して先頭で逃げ、直線ではスリープレスナイトに一端交わされかけたところを再度内から差し返し、そのまま押し切って初のGIレース優勝。レース史上初の父仔制覇を成し遂げた。奇しくも、父キングヘイローと同じ7枠13番での勝利であった。
続いて6月7日、第59回安田記念に出走。GI馬ながらここ最近のマイル戦では精彩を欠いていたためか6番人気の支持を受ける。好スタートからいつものように先団にとりついたが、直線で失速し15着と大敗した。休養を挟んで、9月13日のセントウルステークスに出走。好スタートから逃げるものの、直線で失速しブービーの14着と大敗した。
10月4日、第43回スプリンターズステークスに出走。レースは第4コーナーを回って先頭に立ち、逃げ込みを図ろうとするところに外からビービーガルダンが追い込み、2頭が並んでゴール板を駆け抜けた。レース終了から10分近い写真判定の結果、1cm差でローレルゲレイロが競り勝ち、春の高松宮記念に続いて春秋スプリント王に輝いた。
その後、2年連続で香港に遠征し、12月13日の香港スプリントではスタートで出負けし、前半から強引にハナを奪いに行ったが、残り300mから大きく失速し13着に終わった。
スプリントGIを春秋連覇したことによりJRA賞最優秀短距離馬に選出された。



2008年 スプリンターズステークス スリープレスナイト
2008年 スプリンターズステークス スリープレスナイト
タイム 1:08.0
スリープレスナイト説明(wikiより転載)
2004年2月7日に誕生。栗東トレーニングセンター所属の 橋口弘次郎厩舎に入厩。
デビュー戦はギリギリで桜花賞に間に合うことも考慮され2007年1月7日、第1回京都競馬2日目第6競走の新馬戦が選択される[1]も結果は2着。その後1戦をはさみクロフネ産駒ということでダート戦に出走し[1]初勝利を挙げた。
初勝利となったデビュー3戦目からダート短距離戦を中心にレースに出走実績を積み重ねた。
その後、京葉ステークスで騎乗した横山典弘が芝での可能性[2]を調教師に告げたことから、栗東ステークス後はプロキオンステークスへの出走を予定していたが、デビュー2戦目以来の芝でのレースとなったCBC賞に出走[1]。最後の直線走路で馬群を掻き分けるように抜け出し、優勝を飾った。
次走の北九州記念では、1番人気に支持され、それに応えて直線で抜け出し、2着のマルカフェニックスに2馬身差を付けて勝利。
10月5日、第42回スプリンターズステークスに出走、好スタートから好位追走し、先行するウエスタンビーナスを直線で外から捉えて先頭に立つと、そのまま伸び、追いすがるキンシャサノキセキを抑えて5連勝で初のGI競走勝利を飾った。鞍上の上村洋行は騎手生活17年目にして悲願のGI初勝利となった。その後は香港スプリントに出走する予定だったが、トレーニングセンター内で放馬した際に外傷を負ったため断念[3] 。さらにドバイゴールデンシャヒーンを目指すプランもあったが、今度は放牧先で蕁麻疹を発症したために断念した[4]。
2009年はその蕁麻疹の影響による調整遅れもあって3月29日の第39回高松宮記念に直行したが、1番人気で出走。先行して粘るローレルゲレイロを捉えきれず、2着に敗れた。その後、休養を挟んで9月13日の第23回セントウルステークスに出走。好位追走から直線で追い上げてくるも早めに先頭に立ったアルティマトゥーレを捕らえることができず2着に敗れた。 前年に続きスプリンターズステークス連覇を狙っていた矢先の9月26日、右前屈腱炎を発症し陣営は同馬を引退させるとコメントした。そして、2009年10月1日付でJRA競走馬登録を抹消、生まれ故郷のノーザンファームで繁殖牝馬となった。
タイム 1:08.0
スリープレスナイト説明(wikiより転載)
2004年2月7日に誕生。栗東トレーニングセンター所属の 橋口弘次郎厩舎に入厩。
デビュー戦はギリギリで桜花賞に間に合うことも考慮され2007年1月7日、第1回京都競馬2日目第6競走の新馬戦が選択される[1]も結果は2着。その後1戦をはさみクロフネ産駒ということでダート戦に出走し[1]初勝利を挙げた。
初勝利となったデビュー3戦目からダート短距離戦を中心にレースに出走実績を積み重ねた。
その後、京葉ステークスで騎乗した横山典弘が芝での可能性[2]を調教師に告げたことから、栗東ステークス後はプロキオンステークスへの出走を予定していたが、デビュー2戦目以来の芝でのレースとなったCBC賞に出走[1]。最後の直線走路で馬群を掻き分けるように抜け出し、優勝を飾った。
次走の北九州記念では、1番人気に支持され、それに応えて直線で抜け出し、2着のマルカフェニックスに2馬身差を付けて勝利。
10月5日、第42回スプリンターズステークスに出走、好スタートから好位追走し、先行するウエスタンビーナスを直線で外から捉えて先頭に立つと、そのまま伸び、追いすがるキンシャサノキセキを抑えて5連勝で初のGI競走勝利を飾った。鞍上の上村洋行は騎手生活17年目にして悲願のGI初勝利となった。その後は香港スプリントに出走する予定だったが、トレーニングセンター内で放馬した際に外傷を負ったため断念[3] 。さらにドバイゴールデンシャヒーンを目指すプランもあったが、今度は放牧先で蕁麻疹を発症したために断念した[4]。
2009年はその蕁麻疹の影響による調整遅れもあって3月29日の第39回高松宮記念に直行したが、1番人気で出走。先行して粘るローレルゲレイロを捉えきれず、2着に敗れた。その後、休養を挟んで9月13日の第23回セントウルステークスに出走。好位追走から直線で追い上げてくるも早めに先頭に立ったアルティマトゥーレを捕らえることができず2着に敗れた。 前年に続きスプリンターズステークス連覇を狙っていた矢先の9月26日、右前屈腱炎を発症し陣営は同馬を引退させるとコメントした。そして、2009年10月1日付でJRA競走馬登録を抹消、生まれ故郷のノーザンファームで繁殖牝馬となった。


